48歳からの華麗な生き方・老後をサポートする

私の健康づくり がんの影響を受けるすべての人が自分らしさをとり戻す場所

NPO法人maggie’s tokyo共同代表理事・センター長 秋山正子さん(69歳) 

「あなたが医師からがんを宣告されたらどうしますか」。頭の中は真っ白になり、治療法や家族のこと、仕事のこと、これからの生活のことなどいろいろなことが一度に頭の中を駆け巡っていきます。そんな時に相談できるところがあれば、どれだけ心丈夫でしょう。がんの影響を受けた方が、自分らしさを取り戻せる居場所がマギーズセンターです。3年前にできたマギーズ東京について、共同代表理事の秋山正子さんに伺いました。

看護師の秋山さんは1992年から新宿区で訪問看護をはじめ、当時からがん療養中の方の家庭に行くことが多かったそうです。「がんと診断されるとすぐに“死”を思い浮かべる方も多いのですが、がんとともに生きていく期間は長くなっています。そして、入院治療を終えて退院した後で外来に通うようになると、医療者との接点が急に少なくなる。療養生活やこの先のことがわからないままに、終末ギリギリで緩和ケア病棟を希望しても、ベッドが空いていないこともあります。結局家に帰ってきて、やっと訪問看護につながっても、あれよあれよという間に亡くなってしまうという方が本当に多かったんです。心構えも何もできていない状態なんですね。もっと早い段階で、ちょっとしたことでも相談できる場所があればいいなと思っていたんです」。そんな思いから医療と健康の相談ができる場として、2011年に「暮らしの保健室」を新宿に開設。2016年には、がん影響を受けた方が自分らしさを取り戻す居場所としてマギーズ東京を開設しました。

秋山さんが1996年に英国・エジンバラにできた「マギーズセンター」の存在を知ったのは2008年。アンドリュー・アンダーソンセンター長が来日した時、奇しくも同じシンポジウムの登壇者同士でした。出会いから4ヵ月後に、英国のマギーズセンターを訪問し、交流が始まりました。

「マギーズセンター」とは、造園家だったマギー・K・ジェンクスさんが、乳がんが再発し 「余命数ヶ月」と医師に告げられた時、衝撃を受けたにもかかわらず、何の質問もできないまま、次の人のために診察室を出るよう促された経験から、がんに悩む本人、家族、友人らがリラックスでき、友人のような専門家のいる場所を造ろうと、病院敷地内の小さな建物を借りて、誰でも気軽に立ち寄れるようにと立ち上げた空間。マギーさんはその完成を見ずに1995年に亡くなりましたが、その遺志を夫で建築評論家のチャールズ・ジェンクスさんとマギーさんの担当看護師だったローラ・リーさんが受け継ぎ「マギーズセンター」ができたのです。

マギーズセンターのコンセプト

世界中に24カ所できているマギーズセンターは、建物は有名な建築家がチャリティーで関わり、デザインは自由。しかし建物の中は「木をふんだんに使いガラス張りで自然光が入るように。落ち着ける小部屋もあり、キッチンには大きなテーブルがある、そういう作りはすべて同じです。それはマギーさんが望んだことであり、病院と家の中間にある第3の居場所とも言えます。温かく迎え入れられる、まるで医療知識を持った友人にゆっくり話を聞いてもらって、何をどうしたらいいかということを自分で考えられるようになる、つまり自分を取り戻すための場所だということです」

そしてコンセプトは、「相談料は無料で、予約も不要。友人のような専門職が自分で考えられるようにサポートすることです」。このコンセプトが認められたマギーズ東京には、看護師と保健師、心理士、栄養士がいて、その人達はユニフォームも着ていないし、名札もつけていません。オープン して3年間で19,000人の人達が訪れているそうです。

 

『ど〜もど〜も』の冊子で『暮らしの保健室』の作り方を特集しています

訪問看護師の秋山正子さんが、長年の経験から「地域にも学校の保健室のような気軽に相談できる場所があれば」という思いから、2011年に東京都新宿区の団地に『暮らしの保健室』を開設しました。誰でも無料で予約なしに医療や健康、暮らしのことが相談できる、ホッと安心できる場所として地域の人達に定着しています。『暮らしの保健室』の活動は全国に広がり現在50箇所以上になっています。

 

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