48歳からの華麗な生き方・老後をサポートする

私の健康づくり 「寝たきりで何が悪いんだ!」

童話作家 脇谷みどりさん(64歳)

脳性マヒの娘を産んだあと、郷里の母がうつ病を発症。重度障がい児を置いて母の元には行けない。そこで毎日楽しく、「くすっ」と笑えるハガキを5000枚送り続けたところ、「ハガキが効果的だったのかはわからないですが、母のうつは完治しました」。晩年は実の両親を引き取り、夫の両親と障害児の介護も担いながら、前向きに明るく過ごしたことで「介護から学ぶことだらけ」と気持が変化したそうです。その気持ちの持ち方を童話作家の脇谷みどりさんにお聞きしました。

幼い頃から書くことが好きだった脇谷さんは、童話作家として今でも書き続けています。娘のかのこさんを産んだ後も、在宅で子供の介護している母親達に楽しく元気の出る話をフリーペーパー『風のような手紙』にまとめて送ったのがきっかけで、今でも毎月250部を発送しているそうです。

かのこさんが16歳の時に、郷里のお母さんがうつ病と認知症を発症。すぐに帰れず電話で励ますものの電話料金が高く、ハガキなら毎日出しても月1500円で済むことから、日常の出来事などを面白おかしく書き綴り、13年11ヶ月間で5000枚以上に。お母さんの病気も全快。送ったハガキをお母さんがスクラップブックにまとめていたのを「希望のスイッチは、くすっ」の本にまとめて出版。2017年には「キセキの葉書」として映画化されました。主演の鈴木紗理奈さんがマドリード映画祭で、外国映画主演女優賞を受賞されたことをご存じの方も多いと思います。

 

「あんたが変わらないかん」

重度障がいのかのこさんは、生まれた時から話すことも起き上がることもできず、寝たきりのままでした。21歳から手を握る動作のリハビリを7年間続けた結果、グーは「イエス」、パーは「ノー」という意思表示ができるまでになりました。それまで好きだろうと思って着せていたピンクの洋服は実は「ノー」で、黄色が「ハイ」で好きな色だったのです。

脇谷さんは「暗闇の中にも必ず光がある」をポリシーとして、明るく前向きにかのこさんを育ててきましたが、5歳までは泣いて過ごすこともあったそうです。そんな時に障がいを持つ息子さんを亡くした方から「あんたが変わらないかん」と言われ、そこから「寝たきりでも世界一幸せにしてみせる」という気持ちに変わったそうです。

その後、大分の90歳の父と81歳の母を兵庫に迎え入れ、老後生活から介護と看取りまでサポートを続けてこられました。そして、田舎から出てきた両親とのやりとりを面白おかしく書き綴った「晴れときどき 認知症」を出版。両親の介護も含めた生活に悲壮感はありません。脇谷さんは「障がい者やお年寄りの制度を活用しました。あらゆる人たちからの情報をもらうことが大切です。いろんな人たちの助けがあったのでやってこられました。大変というよりも、介護から学ぶことだらけですね」。そんな気持ちからか、身体はかのこさんのお陰で幸せホルモン、オキシトシン(赤ちゃんを育てる間の母親は、オキシトシンが出ているのでなぜか元気なことが多い)が出ているのでしょうか、「病気もせずに健康で過ごせています」と話されています。

 

プロフィール

脇谷みどり(わきたに みどり)

昭和28年、大分県生まれ、兵庫県西宮市在住。

童話作家。西宮のさくらFMでパーソナリティーを務めている。

毎日新聞・大阪版にイラスト・エッセイ「KANOKO MEMO」を連載

著書は『希望のスイッチは、くすっ』『晴れときどき認知症父と母と私の介護3000日

家族構成は夫・長男、長女の4人。

血液型はA型。

好きな言葉「どうしようもないことを宝とする」

 

 

 

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