48歳からの華麗な生き方・老後をサポートする

認知症が改善、維持できる『みんなの認知症予防ゲーム』

NPO法人認知症予防ネット 理事長 高林 実結樹さん(84歳)

認知症は治らないとされていた頃、認知症予防教室「スリーA増田方式」では、脳の活性化訓練の結果、認知症が改善されたというデータを23年前に発表されています。長年にわたり『みんなの認知症予防ゲーム』の普及に全力を注いでいるのが、NPO法人認知症予防ネット理事長の高林実結樹さん。同NPO法人が行っている青い鳥リーダー養成講座修了者が職場で活用していますが、これからはリーダー養成を体系化していくそうです。

お母様の認知症体験から

『みんなの認知症予防ゲーム』の基は、平成4年に静岡市の看護師・増田末知子さんが開いていた認知症予防教室「高齢者リフレッシュセンタースリーA」で行われた教科の中の一つ、脳活性化ゲームです。軽度認知症発症者を対象に改善目的の合宿を3ヶ月、教室で種々の教科を行った結果、認知症レベルが改善したデータを見た高林さんは、母親の認知症体験から医療知識が無くても取り組める脳活性化ゲームを全国に広めるべきだと広報活動を始めたのです。

高林さんは昭和58年にお母さんをアルツハイマー病で亡くしました。76歳でした。なんとなくおかしいと思い始めてから亡くなるまでの10年、当時、50代だった高林さんは妹(当時48歳)と介護に当たりますが、母親は高林さんを他人と思い込み、家にいると緊張するため、介護を妹に任せて自分は働きに出ることに。まだアルツハイマー病も知られていない時代で、精神病院にショートステイで預けたり、在宅で痰の吸引まで行ったそうです。「母が亡くなってから妹は燃え尽き症候群になり、私は妹に任せてきた負い目を感じていました。その後、認知症を抱える家族の会の電話見舞い係を任され、会員さんに『無事ですか。困ったことがあれば電話くださいね』と毎日名簿を見て順番に電話をしました」と高林さん。この頃は病院の用度係に勤務し、あるとき雑誌で増田さんの「スリーA」の記事を見て認知症に効果があることを知ったそうです。「教室を京都に作りたい」と電話をしたところ、資格がないからダメだと言われ、それならと独自に広報を実行。それが10年位続き、資格がないのに研修会受講を許された知人の賛同者たちと2004年にNPO 法人認知症予防ネットを設立し、スリーA増田方式のゲームに特化したサロン型教室を増やしました。

現在「スリーA」が商標登録されたことから、認知症予防ネットではゲーム名を『みんなの認知症予防ゲーム』と改めています。「いままでやみくもに広めてきましたが、やり方のルールを整理し、リーダーを養成しなければと思っています」という高林さん。理事長として今後1、2年で体制づくりを確立したいと意気込んでおられます。

高林さんの健康づくりは『みんなの認知症予防ゲーム』を一緒にしていること。「一時は腰と膝が悪かったこともありましたが、気功で治しました。頭、目、耳、歯、記憶力は悪いですけどね(笑)」と、お茶目なところもありますが、取材では記憶力の良さに驚きました。

プロフィール

高林 実結樹(たかばやし・みゆき)さん 2004 年にNPO 法人認知症予防ネットを設立、理事長として活躍。 戦中派なので趣味は罪悪だと思っていましたが、俳句を少し。 戦中派は『欲しがりません、勝つまでは!』と教育されてきたこと、8 月15 日の玉音放送の時、 「父親から是からは個人の幸せは望んではいけないといわれて納得、姉妹ともども結婚を放 棄しました」と独身を貫いています。

血液型はAB 型 好きな言葉は「人生意気に感ず功名誰かまた論ぜん」

 

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