48歳からの華麗な生き方・老後をサポートする

看取りって、なんだろう?!

株式会社素敬 代表取締役社長 上野宗則さん

僕は「看取り」に関わる職業人のサポートを生業としています。死化粧などの看取り用品をつくり、看取りのハウツーや考え方を発信しています。看取りとは、人の臨終に付き添い、お世話をすることをいいます。“よくみる”という意味の「看」と、“手でつかむ”という「取」という漢字が合わさった単語です。看取りとは、何をよくみて、つかむ場なのか。そこを意識しながら、看取りについて想いをめぐらせてみました。

僕は30歳の時、父をガンで亡くしました。没年60歳でした。父が死の淵にあることを知りながら、そこに向き合う勇気もなく「父は死なない」と思い込んでいました。死なないと思っていた父がいなくなって初めて、死とはなにかについて、自問自答する日々が始まりました。

調香師だった父は、仏様の香水をつくっており、葬祭事業者さんに販売していました。父の死後家業を継ぎ、これまで縁のなかった湯灌士さんと出会う機会を得ました。それをきっかけに死化粧用品を開発。今では看護師さん、介護士さんにも看取り用品を提供すると共に、看取りのセミナーを主催しています。

 さて、「看取り」についてお話しましょう。「看取る」とは元々、看病看護と同意語でしたが、今では延命治療を伴わず、死を受け入れるための終末期ケアを意味する言葉として用いられています。現代における終末期とは、死が予見されてから死亡判定されるまでの期間をいいます。

現代の死亡判定は、死の三徴候(心拍停止・呼吸停止・瞳孔散大)の診断をもとに、医師によってなされています。近代以前は、死の三徴候を念入りに確認し、家族が死を受け入れる準備ができて初めて、死亡が宣告されていたようです。死の三徴候の瞬間が死ではなく、死とは、生から死に移行する過程であり、生の一部であり連続するもの、曖昧な領域にあるもの、そのように考えられていたのでしょう。死に明確な定義がないことは、今も昔も変わりません。死亡判定は法律上必要不可欠ですが、死の三徴候の確認を境に、生と死が線引きされるのはいかがなものか、と思います。

 出産と同じように、死去の場面もまた言葉を超えた神秘を体感できる、かけがえのない経験です。かつてのぼくのように、死別を恐れてそれを避けるのは、もったいないと思います。看取りとは、大切な人が死に逝く姿や風景をよく見て、都度からだに触れて、いのちを受け取る行為だと思うのです。

様々な事情で、息を引き取る瞬間に立ち会えないことは多々あります。それができなかったからといって、気に病まないでください。息が止まる、その瞬間が死ではない、その瞬間に立ち会うことが、看取りのすべてではありません。看取りとは、旅立ち逝く人からいのちを受け継ぎ、関係性を再構築していく、あらゆる過程での行為なのですから。

※今回は死化粧用品などの販売を生業としている上野宗則さんに、ご自身の「看取り」についての考えを文章にしていただきました。

関連記事として本誌では商品を紹介しています。

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