♪ ア〜〜 ドスコイ ドスコイ ヨ〜 ♪
けはや相撲甚句会 会長・師範代 吉村元延さん(76歳)
相撲好きでも『相撲甚句』は知っていても、発祥地を知っている方は少ないと思います。「日本書紀」には、出雲の国の野見宿禰(のみすくね)と大和の国の當麻蹶速(たいまけはや)の天覧相撲が相撲の起源とあります。負けた當麻蹶速は脚光を浴びることなく近年まできましたが、出身地である當麻町が平成2年に相撲館「けはや座」を建て、平成17年に「けはや相撲甚句会」が立ちあがりました。相撲甚句の魅力について2代目の吉村元延会長に伺いました。
奈良が相撲の発祥地。桜井市には相撲神社があり昭和37年には柏戸、大鵬が来て土俵入りをしたそうです。懐かしいですね。
相撲甚句は相撲関係者の呼び出し、行司、力士が余興として唄っていて、それぞれに組織をつくっています。全国には大きな4つの組織があり、毎年全国大会の多くは東京で開催しています。今年30周年を迎える相撲館「けはや座」は、土俵を新たに改修したことから全国大会を誘致し開催が予定されていましたが、コロナ禍の影響で中止に。白鵬関が土俵入りして土俵開きに花を添えたそうです。
相撲関係者以外が土俵の上で相撲甚句を披露することは全国的にも珍しく、けはや相撲甚句会は「けはや座」の土俵で月2回の稽古を行い好きな句を披露されていました。お聴きするまでは簡単に唄えると思っていましたが、聴いてみるとなかなか難しい節回しでした。
「相撲甚句は相撲巡業の余興で唄っていたもので、江戸時代から明治にかけて流行しました。唄い手が前で唄い、他の人は後ろで“ドスコイ ドスコイ” “ホイ”という合いの手を入れます。唄は大きく3つに分かれ、初めの節ではア〜ア〜で始まり、終わりはヨ〜と下がって終わります。真ん中は哀愁やユーモアのある言葉を七五調で唄っていきます。どの唄もメロディーは同じで、楽譜や伴奏もなくもっぱら口で伝えていきます」と吉村さん。
発足時のメンバーは吉村さんをはじめ、みな全くの素人。当初は他の相撲甚句会の方が応援に駆けつけて指導しましたが、15年も経験を重ねると皆さん自分で作詞するまでの腕前になっていました。当日も「特殊詐欺」や「新型コロナウイルス」(18頁に紹介)を披露していただきました。
みんな長生きしろよ!
相撲甚句を長く一生懸命やると師範代として認められ、同会にも4人の師範代がいます。現在会員は12人、80歳代も多く最高齢は92歳。吉村さんの悩みは会員の高齢化のようです。
「相撲甚句はお腹から声を出して唄い、1時間ほど立ちっぱなしですから健康に良い。友達もできるし各地の甚句会との交流もあり楽しくしていますが、15年も経つとみんな高齢になってきているので、会の存続を考え皆には長生きしろよと言ってるんです。この相撲館には現役で相撲を取る人が来ますので、若い人に入って欲しいなと思っていますし、相撲館職員は53歳ですので、将来は甚句会を任せたいと思っています」
甚句会は毎月の稽古が実り、大阪府や兵庫県からも出演依頼があるそうです。
相撲甚句に関心のあるかたはYouTubeで聴くことができます。