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知ってますか? 認知症 ③

川崎幸クリニック 杉山孝博院長

ぼけても心は生きている

つらい介護が軽くなる

 「ぼけても心は生きている」。これは、認知症の人と家族の会が発足して以来社会に訴え続けてきたテーマの一つだ。

「認知症になったら何も分らなくなる」「人間性も失われる」と考えるものは少なくない。2002年に家族の会が行った、「家族を通じてぼけの人の思いを知る調査」は、そのようなとらえかたが必ずしも正しくないことを明らかにしている。調査の一部を紹介する。

「『母さん、3月になったら、レコードでも買うて、きれいな服を着いや』。夫はまじめな顔で、じっと私を見つめて言った。ぼけても失わない夫のやさしさがうれしかった」

「『お父さん、本当にありがとう。よく世話をしてくれてありがとう。本当にやさしいんだから。いろいろ心配かけてごめんなさいね。いつまでも元気でいてね』と。前後、支離滅裂な内容を言い続けていたのに、これが妻が私に言った最初で最後の正気の言葉となりました。(略)私は、この時、最後まで、妻をやさしく介護してやろうと決心しました」

このように、認知症が進んでも、「家族に幸せになって欲しい」「家族の体を気遣う」という気持ちは持ち続けている。

「支離滅裂」の状態であっても、このような人間らしい優しさに出会うことができるからこそ、家族はつらい介護を続けられるのだと思う。

「『あなたの笑顔はステキですね』と私の友人が訪ねてきた時に話した。母の精一杯のあいさつ。相手に不快を与えないような心配りが感じられた」

 記憶障害、理解力・判断力の低下などがあっても、これまでの人生で培ってきた、人との接し方や気配りなどは長く持ち続けるものである。時には、認知症があるかどうかわからないほど上手に対応する。もっとも、このように、他人に対しては見事な対応をすることができるのに、介護者に対して激しい症状を出すため、そのギャップに介護者は悩むことになる。

「痛いリハビリに抗議して『イヤ、イヤというたらイヤ!しないというたらしない。人がこれほどイヤと言うものを、皆は、何の権利があって無理強いするのか。その理由を言え。人権無視じゃあ』」

リハビリや検査、処置なども、そのことが自分にとってどのような意味があるかを理解できない認知症の人には、つらいこと嫌なこと以外ではない。周りの人は認知症の人の気持ちや性格を理解して、介護しなければならない。

 

 

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