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特集 「癒しとよりよい人生」のために! 『まぁいいか』とほどよく適当に生きる方法!

医療法人山のサナーレ・クリニック(144床)精神科・神経科・心療内科 

理事長・院長 富田均

人って強い気持ちの自分と弱い自分の時があると思いませんか。生き方も人それぞれですが、頑張りすぎて歯車が合わない、それが精神疾患になることもあるようですが、そんな時は「まぁいいか」とほどよく適当に生きる気持ちがいいようです。そのようにアドバイスするのは、長年精神疾患の患者さんを診てきた富田均院長です。院長が「癒しとよりよい人生」を実現するために、7年前に建てた「街のサナーレ・メンタルヘルス・ソリューションセンター」を訪問し、院長の「生きてて良かったと笑って死ねるようにしたい」という思いについて、私たちはどのような気持ちで生きるべきかをお聞きしました。

まちさな」は自然な生き方、自然な暮らし方を見つめる場所

街のサナーレ・メンタルヘルス・ソリューションセンター『まちさな』が作られたのは7年前。富田均院長は病気が良くなり地域に戻っても病気をぶり返して病院に戻る人たちを、どうすればみんなが豊かに生活できるのだろうかと考えた末、「私たちは街に出て自然な生き方、自然な暮らし方を見つめていける場所を『まちさな』という形にしました」

昔は普通だった働き方や暮らし方、人付き合いや建物や食べ物などあらゆることがいつの間にか失われてしまったことに気づき、新しいスペースとして『まちさな』を作っています。

『まちさな』の精神科医師のコーチングとは・・・

山のサナーレ・クリニックの富田均院長も月に一度相談を受け、病院だけでなく、退院後の心の悩みにも寄り添っています。

「コーチング」については、次のように説明しています。

 みなさんのたった一度の人生において、最も大切なことを学ぶことからスタートし、みなさんの人生を豊かで充実したもの(=成功)に導くためのものです。 

それはあらゆる分野に応用可能なマインド・セットを基礎とし、仕事や家庭、人間関係、自分の性格、才能や能力、役割、使命などに、良い影響を及ぼすための最善で最短の方法です。 

人にはそれぞれ、一人ひとりに人生の目的が与えられています。人生の豊かさは、それにそって、どう歩んでいくかによって決まっていくものです。

豊かな人生へと進むヒントは、みなさんの存在のあり方、その遊び方や働き方、その社会の中での役割の果たし方など、その生き方の中にあります。

 

まちさな』の役割について富田均院長にお聞きしました。

 

一番大事なのは「どう生きていくか」ということです

Q:街のサナーレ・メンタルヘルス・ソリューションセンターの『サナーレ』とはどういう意味ですか?

富田:サナーレは『癒す』という意味です。病気やストレスなどの身体的または精神的な問題を治療するためのサナトリウム(施設)のことです。

 Q:先生の「癒しとより良い人生のために」 という理念に基づいて作られたのでしょうか。
富田:「より良い人生」と考えた時に病院だけじゃダメなんです。病院は治療しますが、色々な理由でそれだけじゃ不十分だということです。

病気が良くなって地域に戻っても、病気を再発して病院に戻る人たちのために病院の治療だけじゃなくて、その後の生活や社会に行ける状態に持っていくことが必要なんですね。

病気が何であれ、一番大事なのは「どう生きていくか」ということです。病院だけだとダメだということは、医療モデルだけでは解決しないということです。支援や援助の正しいやり方を足していかないと完結しないということなんですね。

Q:それは精神科の病院を経営されてこられて、医療の限界を感じていたということですか。病院は何年ぐらいになるんですか。

富田:そういうことですね。私が院長になってもう37、8年になります。

結局、今は医療が終わるとあとは福祉に投げて終わりなんです。医療と福祉の連携と言われるけれど一貫した考えで連携するわけではないので、福祉に手渡すと患者さんの真の回復というのが一旦途切れるんですね。一貫した流れができないので、それじゃ自分ところでやった方がいいなという風に思い、この『まちさな』で実現しようとしているところです。

Q:街のサナーレ就労支援センターは就労継続支援B型事業ですが、就労者の方と稼がないといけないわけですよね。働いている方はそういう意識を持ってこられているのでしょうか。

富田:最初の動機はいろいろでしょうけれど、要は動機が何であっても、ここで働くということはどういうことか、生きるということはどういうことが大切です。病気になる前ではなく、新しくリセットした生き方を体験して欲しいということです。

 

“ほどよく”適当に生きる!!

Q:病気が治れば、前の職場でなくても他の職場で働けば良いと思うのですが。
富田:問題は前と同じ働き方をすると、また再発するんです。だから働き方(考え方)を変えないといけないんです。精神障害の方は過剰に真面目か、ズボラな方かと両極なんです。

例えば、真面目な人ほど頑張るんですね。頑張って調子を崩される。病気になってそこを見直せばいいのにまた頑張るんです。『適当』ということは、究極のバランスがいいというメンタル面を表現しています。適当だから何でもズボラかと言うとそうではなくて、“ほどよく”というのが『適当』なんですよね。この“ほどよく”というのが患者さんにはわからないんです。

Q:失敗した時など「まぁいいか」とおっしゃる方もいますが、そのような気持ちで問題を回避できないわけですね。だから退院すると大丈夫だろうと思って真面目に働くと、同じような状態になるわけですね。
富田:『まちさな』では一般就労を目指していくんですが、まず退院してここで働き方の原点を、自分のバランスの取り方とかを修正してから再チャレンジして欲しいということです。

 眠っている能力や才能を再発見してもらう場所

Q:『まちさな』ができて7年になるそうですが、ここは社会に出るまでの助走で必要だという意味ではいいと思いますが、その成果というのはどうなんでしょうか。

 富田:ここの特徴の1つは、単一の業種じゃなくて農業と加工業とサービス業というように一次産業から三次産業があるというところです。社会も一次産業から三次産業に別れて構成されているように、その特性に応じて自分がやって伸びるタイプのところがあるだろうということです。それを経験していただくことで、本来その人の眠っている能力とか才能を、もう一度再発見していただくという意味でやっているわけですね。

自然体というのがどういうことかわからないので、ここでうまく適用して伸びていく人は再発しにくくなりますし、社会復帰している方もいます。心の状態が自然に戻るということですね。

今の課題は、ここに来ても具合が悪くなって再入院するケースもあるわけですね。それは、ここの問題というよりも、ここに送り出す前の病院の入院治療の段階でのケアの問題かなと思います。

ここに来る患者さんに働き方や生き方をリセットしていく。その教育の部分をもう少し充実させたいと思っています。

日頃のメンタル習慣はメンタル習慣病』だ!
Q:精神科の患者さんはどのような方が多く、『まちさな』に来る人はどのような精神疾患を患った方でしょうか?

富田:私にとって『まちさな』は治療の延長なんです。普通の精神科では多分わからないだろうと思います。なぜかと言いますと、今の精神医学そのものが非常に的外れになっているからです。それは、病気ばかりに着目し、健康とは何か?に関心が乏しいためお薬で治療することがメインになっているわけです。患者さんも「お薬ちょうだい」と言われます。それだと何も解決しないんです。臨床的にコントロールされた状態で安定するだけなのです。

一般内科では前から「生活習慣病だから生活習慣を変えましょう」という発想を入れてきていますよね。薬は出すけれども食事に気をつけなさい、運動しなさいとか。精神科はその部分がないんですよ。

だから私は『メンタル習慣病』という風に言っています。体の病気が生活習慣病に影響するのなら、精神疾患は日頃のメンタル習慣が影響しますよという風に思っています。

真面目な人の精神疾患は一夜にしてなりません。必ずそうなるまでの背景があるわけです。そこにはストレスがあったかもしれないし、いろいろあったけれど本人のメンタル習慣の間違いというか、それがあって発病に至るということですね。

メンタル的に病気でもないが健康でない人も多い

Q:精神疾患になっていない私たちは、大丈夫なんでしょうか。

富田:実は現代は病気でもないけれど、健康ではない人が多いんですよ。メンタル的に病気とは言えないまでも、健康でないからちょっとしたことで病気になるんです。だから予備軍は多いんです。

そして、現代の精神科治療が不十分だから、1度病気になるとなかなかそこから抜け出せないわけです。鬱(うつ)なんかもなかなか治らないか、治ってもすぐに再発する。だからどこに行っても精神科の外来はいっぱいです。

 

Q:精神疾患の予備軍が多いということですが、私たちはどういう生活を送ればメンタル面でいいのでしょうか。

富田: 予備軍の人たちは、まだ症状がないから「自分は普通だ健康だ」と思っています。したがって「病気になるまでこういうことに注意した方がいいですよ」と言っても聞き流して終わってしまうだけだと思います。病気になってもなかなか気づかないわけです。

人間の意識は自己中心的になりやすいので、ちゃんと聞く耳が持てるようになるには、何かのきっかけが必要です。本当に困った時だと思います。

ただし、病気になって、もう手遅れだと言いたいんじゃなくて、やっとここから生活(考え方)を見直すスタートだ。気づいて良かったと思う。そして、最後は病気になってよかったと思うような方向を目指しているわけです。

「死ぬ時に笑って死ねるような人生」にしてあげたい

Q:精神科の病院は薬をいっぱい出している感じがします。根本治療をどのように考えているのでしょうか。

富田:薬は必要だとは思いますが、自分の生き方の話をしてもらい、振り返っていかないと、患者さんにとって本当の回復にはなっていかないんです。ところが 精神医療は本当に治そうとはしないんです。最後は寛解(かんかい)状態で、症状が取れて安定すれば治らなくてもいいということです。

前にもいいましたけど「臨床的コントロール」が目標なんです。極端な言い方をすれば、今の精神医学は、その人の人生そのものには興味がないということです。なぜなら病気の診断というのは、症状の基準に当てはまるかどうかだけです。症状が消えさえすればいいということです。

医療に携わっている人の中には、「患者さんの人生を良くしたい」という人は沢山いると思いますが、精神医学の概念の中には、完全に完治させて退院させるということはないんですね。そういう意味で退院された方を「真の回復」に導けるような、こういう『まちさな』がどの地域にもできればいいわけですが、そのような考え方の精神科医は少ないだろうと思いますね。

Q:富田先生は患者さんの「最期までどう生きるか」ということを考えているわけですね。

富田:もちろんそうです。とにかく「死ぬ時に笑って死ねるような人生」にしてあげたいわけです。

 

精神疾患の患者は増え続けています
Q:精神疾患の患者さんは増えているのでしょうか。

富田:病院は144 床ですが、統合失調症とか躁鬱病、そしてストレス関連障害ですね。最近増えているのは児童思春期の発達障害です。あとは認知症ですね。

精神疾患の薬も良くなり症状は軽症化しているので、入院患者さん自体はこれからも減るでしょうけれど、その分外来は溢れかえって予約を取るのに何カ月先みたいな状況です。なぜかと言うと、1度精神疾患にかかると慢性化するので減っていかないんです。鬱もそうです。
また、発達障害支援法の改正で、早速に飛びついたのが教育現場です。自分たちが抱えている困った問題をレッテルを貼れるようになり、病院にお任せということになるわけです。落ち着かない子に丁寧に教師が接するよりも、「病院に行ってお薬をもらいなさい」という風に指導するわけです。

親たちも子どもが発達障害でできないからしかたがないんだ、これでいいんだ、という風に思うので子どもが成長しなくなるんです。そして、本人もだんだん悪い方に行くと自分が変わるのではなく「もっと社会制度をよくしろ」という風に要望していくわけですね。
私は発達障害の人たちの場所を社会の外に作るよりも、これから日本の人口が減って働く人が減るわけですから、社会の中にそういう人も働ける場所、共に生きる社会を目指した方がいいと思います。労働時間をもっとフレキシブルにして、自由設定できるような社会ができれば良くなるんじゃないかなと思うんです。

Q:今、著名な方でも子供の頃は多動性(いつも動き回り、座り続けることが困難)でした。今の時代なら発達障害だと言われたでしょう、と話されている方もおられます。
富田:発達障害の人の能力は凹凸ですよ。全然できない領域もあれば得意な領域もありますから、得意な領域をのびのびと発揮できるような社会構造に変わっていけばいいでしょうね。

例えば、この『まちさな』のようなところで、のびのび働くということを覚えていけば、社会の中に行っても自信を持って「発達障害です」「こんなことが得意です」「何かお役に立てませんか」というようなことを言えるようになればいいと思います。だから発達障害だからといって特別視しない方がいいです。

 

訪問看護でメンタル習慣病』をサポートする
Q:『まちさな』にはこころの訪問看護ステーション「願いのなる木」がありますが、看護師さんはどのようなことをするのですか?

富田:自宅に看護師が訪問しますが、最終的な目標は『メンタル習慣病』をよくしていくためのお供をさせてもらうということです。そのために日頃の生活を見ていきます。在宅でその人の状態を見て、相談を受けサポートしていくわけです。

 訪問看護ステーションの事務所  1697

Q:精神疾患は遺伝すると聞いたことがありますが。遺伝するのでしょうか。

富田:病気そのものは遺伝しませんが、生活が同じなら病気のスイッチが遺伝するんですよ。ただ生き方が良い人はそのスイッチが入らない。生き方がまずいとスイッチが入ってしまうから発病するわけです。すべてはその人の「生き方」がカギを握っています。

ささいな事をストレスに感じる人もいれば、ささいな事であっても「まぁいいか」と思える人の違いです。

適当に生きるというのは難しいです。自分のやることはちゃんとやって、結果については「まぁいいか」ということですね。別の言い方をすれば「自己責任感覚」と「楽観性」を合わせ持つということです。

 

 

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